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多分、恐らく、もしかして… に関する考察

多分と、恐らくと、もしかして

普段、文章を書く上で気軽にしかも頻繁に使用する、この「多分」「恐らく」「もしかして」。
この、似た様な場面で、また似た様な意味で使う三つの言葉が、実際に使用される際には何らかの使い分けがなされているのか、そしてもし使い分けがなされているとしたらどんな観点で使い分けられているのか、或いは、使い分けるべきなのかを考察してみようと思う。


先ず、最初に、最も身近な例として、自らが個人的に文章を書く時、これらをどういう観点で区別しているかを考えてみる。 

最初に「多分」。
これは、個人的な気分として「周りの人がどう思うかは解らないけれど、自分の中ではほぼ確実だと思っている推量に対して言及する時」に使用している様に思う。 従って、「多分?」で始まる文章は基本的には確実性の高い内容、と云う事になる。

次に「恐らく」。
意味、使い方、ともに「多分」とほぼ同様であろうか。 しかし、使用する機会として「多分」を使用する文脈よりもより硬い文章に使用する事が多く、ある文章の調子に相応しい硬いイメージの言葉として、恣意的に撰んで使用している言葉である。 故に、これもまた「確実性が高い」言い方、と云えるだろう。

最後に「もしかして」。
これは、前者二つとは違い「周りの人もどう思うか解らないし、自分としても確証の持てない、より曖昧な推量に対して言及する時」に使用している様に思われる。 従って、「もしかして?」で始まる文章は余り確信の持てない推定に基づいた内容、詰まり、確実性の低い内容… と云う事になる。

以上をまとめるとこうなる。

「多分」=「恐らく」=信頼度が比較的に高い推量。 
「もしかして」=信頼度が比較的に低い推量。

特に意識した事はなかったけれど、意外にも、使い分けの基準を持って使い分けしていた事が解る。


それでは、客観的に見ると、どうだろうか。
ここはお約束。 辞書に当たってみる。

先ず「多分」から。
見出し語の「多分」は、名詞として読んで字の如く「量の多い様」が第一義。 そして、副詞として「下に推量の語を伴って、おそらく、たいてい。」とある。

可能性の多い、少ないという観点からすると字義の通り「可能性の「量が多い様」」を表すわけで「ほぼ確実な推量」について言及する際に「多分?である」という言い回しを使うというのは間違いないように思われる。

次に「恐らく」を調べてみる。
見出し語で「恐らく」を見ると、「「恐らくは」の略」とあり、副詞。 そして、「下に推量の表現を伴って、かなり確実な推量判断を導く。 多分。 きっと。」とある。 従って「恐らく」は「多分」と同様かそれ以上の確信的推量を表す語であると云える。
因みに、「恐らくは」は「恐るらくは」の略なのだそうで、これは、見るからに漢文訓読調の言い回しであり、辞書にもそう書いてある。 従って、「恐らく」がどちらかと云うと、漢文訓読調の硬い調子の文章に馴染む… のも宜なるかな、である。

更に、「もしかして」を辞書に当たってみる。
意外な事に見出し語としての「もしかして」は存在しない。 
見出し語は「もしか」。 「もしかしたら/もしかして/もしかすると」は用例として見出し語「もしか」の中に含まれる形で記載されている。

わたしは、とても驚いたのだが「もしか」と云う、わたしの言語感覚の中では、「ギクシャクとしていて不用意に略された現代語のような響き。 出来得る事ならば使いたくない」言葉としてインプットされている「もしか」という言葉が、何と辞書の見出し語にもなっている古来からの「日本語」だとは! 「もし」+係助詞の「か」で「もしか」。 係助詞「か」が付く事により「もし」を強める言い方になるのだそうで、意味としては、「もし」の第一義に等しいのだそうな。

もとい。

本題に戻って、「もし」を見てみる。

見出し語「もし」。
第一義は「「ば」「たら」「なら」等の語と呼応して、確定していない事柄、事実に反する物事を仮定して次に述べる物事の条件とする意を表す。 仮に。 万一。」

そうか! 「もしかしたら/もしかして/もしかすると」の一群の言葉は、詰まりは「仮定法」なのだ!
言葉としてのベクトルが「多分」とか「恐らく」とは根本的に違うのだ!


そう、「多分」=「恐らく」が、ある一定の信頼すべきデータに基づいた、確実にあり得るであろう根拠を持った判断を表現するのに対して、「もしかしたら/もしかして/もしかすると」は、希望的観測や何ら根拠を持たない単なる仮定を前提とした根拠の無い推定を表すのである。

例えば… 「明日の天気」という事についての言及で考えてみる。

これを、「多分、明日は雨だろう。」とか「明日は、恐らく雨だろう。」とか云う場合には、現に今現在も雲がどんよりとたれ込めているし、天気予報で見る限りここ数日は前線が停滞するそうだ、従って、明日は殆ど確実に雨が降る… という風な「確実な根拠のある前提に於ける推定判断」を下した上での、多分に客観的な「未来への言及」であると考えられる。 

「未来への言及」であればこそ、そこに、「過去から現在をへて、こうであるからこうなる」という「時間の連続性」のある云い方とも云える。  

しかし、「もしかして、明日は雨かも知れない。」と云う場合には、猫が顔を洗っているし、下駄を放ってみたらひっくり返ったし、夕焼けは綺麗だし… と云う風に「何の根拠もないところでの「仮の話」として、前提自体が推定の域を出ない個人的な気分」を伝える主観的な言い方に過ぎないのではないだろうか。

これは「過去、現在の事象」とは関係のない、希望的観測の中の「仮の世界」に付いての言及であり、云うなれば、「時間軸の異なる平行宇宙」への言及であるとは云えないだろうか。 

即ち…

結論として、「多分」=「恐らく」は「現実の時間の流れを基本とした、あり得べき未来」への確実な推定判断」を表し、「もしかしたら/もしかして/もしかすると」とは「現状の時間に於けるあり得べき流れとは違う仮想世界への幻想」を表すのであり、両者は、実は「可能性の高い、低い」という観点では量れない、全く違う次元での似て非なる言い回しだったである。


諸氏、努々混同なさるべからず。

筆者注)途中から多少調子に乗っており、論理に飛躍が見られますのでご注意ください。
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2006年06月25日 | Comments(2) | Trackback(0) | 言の葉
コメント
 「多分」と「もしかして」はmaybeとperhapsより違うのですね。
そんぴ URL 2006年06月25日 22:30:46 編集
>そんぴさん
そうです、かなり違う様に思います。
しかし、これは完全に個人的見解かも… そんぴさんは、如何思われますか?
ユイー URL 2006年06月26日 21:50:50 編集

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