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ラ抜き言葉の実際

随分と前になるが、こんな本を読んだ。

岩波新書「日本語ウオッチング」。

日本語ウォッチング 日本語ウォッチング
井上 史雄 (1998/01)
岩波書店
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表紙の折り返しに曰く? 「見れる」「食べれる」のようなラ抜き、「うざい」「ちがかった」「チョー」といった新表現、鼻濁音無しの発音…。日本語が乱れてる! と騒ぐのはまだ早い。言語学の眼で考察すると、耳新しいことばの出現の背後ではたらくメカニズムや日本語変化の大きな流れが見えてくる。長年の調査・研究に裏打ちされた現代日本語の動向観察。

し、しかし…


日本語が乱れてる! じゃなく 
日本語が乱れて「い」る! なんじゃ?

う?ん、乱れている!


いや、もとい。言いたいのはこんなことじゃなくて…(笑)

この本… 意外と面白かった。
特にちょっと興味深く思ったのは「ラ抜き」のお話。

実は、私は前から思っていたんだけれど… 

例えば「読む」とか「書く」って、可能の表現が「読める」「書ける」でしょ? 
これって「ラ抜き」なんだけれど、でも、正しい… 言い方でしょ? 
決して「読まれる」「書かれる」とは言わないし書かないよね? 
でも、「ラ抜き」でないは形を考えるとさ… 「読まれる」「書かれる」でしょ?
それって、尊敬あるいは受け身の形だよね?

なんか、おかしい… な… って。

その疑問が、これを読んで氷解!

そも、「読める」「書ける」のように可能の活用形が「短い」(=既に「ラ抜き」が固定している)のは、基本として五段活用の動詞に限られている。「ラ抜き」言葉の原点が五段活用の動詞の「読む」などの一部の五段活用動詞なのであり、変化のきっかけには諸説あるが、奈良時代あたりでは「読まれる」などと活用していたものが江戸時代には「読める」に変化。その後、江戸時代から明治にかけて殆どすべての五段活用動詞が「ラ抜き」に固定した… んだって。

ん? ああ、五段活用動詞って… 未然形の語幹の語尾の母音が「ア段」なもの…。(否定の表現を作る時に ア段+ナイ になるもの) 

例えば「動く」(うごかぁ+ない)「動かれる」→「動ける」
   「走る」(はしらぁ+ない)「走られる」→「走れる」とか

そう! 既に「ラ抜き」が完璧に変化し切っているって事なんですよ!
すげー! そう考えると、やはり、「ラ抜き」は時代の趨勢なんですよね…

んで、300年かかって五段活用が全て「ラ抜き」になった後、次に「ラ抜き」になったのはカ行変格活用「来る」。

つまり「来る」 「来られる」→「来れる」

これも、そう言えば、普通に使うもんな… 私としては、これにもちょっと抵抗があるんだけれど。まあ、カ行変格活用は「来る」だけだから、五段活用導師の次に来る変化の段階としては妥当なのだとか。

んで、ついに、一段活用の動詞へと変化の波が押し寄せて来ていて、これ則ち、ここ最近問題視されている現象な訳で…

例えば「見る」(みぃ+ない)「見られる」→「見れる」
   「着る」(きぃ+ない)「着られる」→「着れる」

わあ、違和感… でも、意味的合理化、活用の簡便化として、多分あと数十年後… いや、百年単位かも知れないけれど、結果的には五段活用と同じ様に「ラ抜き」が定着する、よね、多分、きっと。
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2006年06月04日 | Comments(3) | Trackback(0) | 言の葉
コメント
 そう、日本語の流れとしては抗い難いものなんだけど、個人レヴェルでは積極的に流れに乗る義務も必要もないので抵抗しています。僕は言葉にはかなり保守的です。だって相手に通じて始めて言葉なんだもの。各自が勝手に作った「相手と共有されない符号」は言葉じゃない。
そんぴ URL 2006年06月05日 00:56:19 編集
はじめまして。コメントありがとうございました。
ボクはライターなんですが、「ラ」抜き問題では、
若い人のコメントなどを原稿に起こす場合に、
実際に話したとおり、リアルに書きたいので、
あえて「ラ」抜きで書いたことがありましたが、
問題とされて、「ラ」を入れられました。
なにかボクが知らなかったかのような反応をされたので、
「いやいやいや……」
みたいな気分でした。それからは「ラ」入れてます。

今後ともよろしくお願いいたします。
→リンク入れていただいてありがとうございました。
ボクはまだリンクの張りかたがわからなくて・・・
自前のカテゴリーのリンクに入れさせていただきますので。


ナポリタカオ URL 2006年06月05日 11:12:55 編集
>そんぴさん
そうですよね、わたしもそうです。
わたしが、何故、「実は過去に於いて五段活用のら抜きが定着」ということに驚いたかと云うと… 以前から「読める」「書ける」などの、どう考えてもラ抜きである言葉なのに、何故かそれが「正しい」とされる単語があるのが不思議で堪らなかったからなのです。 個人的には「読める/書ける」は「読むことが出来る/書くことが出来る」などと変換して書くことにしていますが…

しかし、それにはやはり、このような歴史(?)があったことが驚きだったのです。

---
>ナポリタカオさん
わたしも、若者っぽさを出す為には「ラ抜き」のままなのは良い演出かな… と思います。 でも、テレビの字幕等でも、ラ抜き言葉は、ラ抜きでは無い字幕を乗せているようですもんね。 まあ、そう云うものなのかも知れません。

そだそだ! ラ抜きが定着するのを遅らせる効果もあるかもしれませんね!
yu?'e URL 2006年06月05日 21:47:35 編集

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