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翻訳ミステリ大賞シンジケート第4回読書会のこと(ネタバレ気味)

2011年6月24日、渋谷は道玄坂にある某貸し会議室に於いて、翻訳ミステリ大賞シンジケート主催による第4回読書会が行われた。

昨年冬(そう?)に行われた第1回読書会(課題本「暁に消えた微笑み」/ヴィレッジブックス)以来の2度目の参加… っつーか、実は、前々回のクリスティ読書会(課題本「ホロー荘の殺人」/ハヤカワ文庫)の際には、失礼にもドタキャン。 しかも、読書会もたけなわの頃になってからドタキャンの連絡をした上、更には(後で聞いた話によると)その私のドタキャン電話が折悪しく発言中の田口俊樹先生の電話に繋がって… と云うおまけ付きの失態を演じてしまったのである。 その失敗の記憶が生々しく、第3回(課題本「七人のおば」/創元推理文庫)への出席は自粛。 今回は満を持しての(?)久方振りの参加… なのであった。
それなのに、急に仕事が忙しくなっちゃって、読了するのに当日の昼まで掛かってしまい焦った。(笑?)

課題本/「ベルファストの12人の亡霊」
      スチュアート・ネヴィル著/佐藤耕士訳
      RHブックスプラス(武田ランダムハウスジャパン)

この課題本。

昨年の今頃だろうか、かなりホンヤクモンスキー界を賑わわせていた作品で、当時「こりゃ、面白い」と云う好意的な感想なども多く目にしたものである。 しかし、個人的には疑問符。 紛争もの(?)である事を臭わせる「ベルファスト」と云う地名や「亡霊」と云う言葉に、人が意味もなく沢山死ぬ小説なのではないか? という危惧を感じ迷わずパスした作品なのである。 恐らくは、この読書会に参加しなければ絶対に手に取らなかった筈の小説だ。 

ストーリーと個人的感想は以下の通り。 
普段は軽く読み飛ばすのがフツーであって、読書会に出るので頑張って分析してみたって感じでお恥ずかしい限り。

主人公のフィーガンは、嘗て、北アイルランドのテロ組織の闘士として恐れられた存在だが、今は、酒に溺れる毎日を送っている。 周囲からは、頭がおかしいのではないか? と勘ぐられ遠巻きにされている。 彼を悩ませている本当の原因は、彼が手を下して殺害した12人の亡霊につきまとわれている事だったが、ある日を境にして、その亡霊たちが、彼に死の責任を取れと云わんばかりに殺害の指令を出した上司や殺害に関わった仲間たちを指差し始めた。「あいつを殺せ」。 フィーガンは、自身の罪悪感も相俟って、亡霊たちの云うがままに殺人を重ねるが…

亡霊たちは、フィーガンが彼らの死の原因を作った人物を殺してゆく度に、成仏してその場から去って行くのだが、章立てが「12人」「11人」とカウントダウンになっているのが余りにも直接的で先ず気に入らない。 だってさぁ… これじゃあ、初手からネタバレしているようなもんじゃない?
そして、途中に差し挟まれる、シャドーキャビネットの大臣と警察署長の会話を中心としたシークエンスの緩さ。 これはお話のおさらいをしているのかな? とは思うのだけれど、別に説明してくれなくても忘れてないし。
更に「亡霊が見える」という事に対するスタンスの問題。 個人的には「本当に亡霊が見える」「亡霊は主人公の罪悪感の投影であり、実際には存在しない」の二通りの考え方が出来るのだから、その辺を曖昧にしておいた方が余韻… っつーか、奥行きが感じられるんじゃないかと思いつつ読み進んだんだけれど、割と直ぐに「この人には実際に亡霊が見えるし、スーパーナチュラルな素養(?)があり、もしかしたら超能力が…」的な所に落ち着いてしまうのである。 何か、勿体ない。
そんで、最後にして最大のポイントが「オチ」。
大体が、「慈悲よ…」でオトしてしまっていいのか?
そして、前回の殺しで12人のツレが出来た訳だけれど、今回の殺しでもツレが出来たら面白いのに、と思ったり。(笑)

ちゃんと読めているかどうかは疑問だが、まあ、こんなところ。

そして、読書会。

いつもの如く、遅刻。
会社の終わるのが18:45なので、どうしても19:00からの開催だと間に合わないのである。
本当にいつもいつもで申し訳ない気持ちだが、こればっかりは…

しかし、今回は15分程の遅刻で済ますことが出来たので個人的には許される範囲かな… と。

出席者は、知っている人も知らない人も合わせて20名強。
田口俊樹先生(きゃっ)をはじめとして、白石朗さん、芹沢恵さんなど蒼々たる翻訳家の先生方や、翻訳ものの編集者の方々、名立たる書評家の皆様、そして、私のような一般人と様々。

以下、皆様の意見を箇条書きにしてみる…

*生きている方も亡霊? 
 既に紛争の日々も遠くなり、抜け殻のようになった人々もある意味では亡霊なんじゃないか。
*亡霊たち… 12人は多すぎるのでは? ←キリスト教徒の関係?(12使徒)
*三人称で書かれているけれど、それで良いのか? 一人称だったらどうだったのか?
*冒頭、一人称で書かれているものが途中から三人称になる。 読み易くなってよかったのでは?
*途中に2回出てくる「バランスと忍耐」という言葉は一体何だったのか?
 →きっと、意味を持たせようとしたけれど、途中で忘れちゃったんじゃないか?
 →映画好きとしては「スターウォーズ」の影響を受けているんじゃないかと思うんだけれど?
 →そもそも、そんなに大事な意味のあるところじゃないんじゃない?
*アイリッシュの幽霊譚の影響を受けているのでは?
*「慈悲」に関して。
 死者の恨みよりも、生者の恨みの方が強いのでは? 彼女は死んでいるから許せるのでは?
*映画「レクイエム」を思い出した。
*主人公のフィーガンが終止亡霊の言いなりになるなど、受け身に過ぎるのでは?
*オチの不自然さは、途中から無理矢理変更したからなのでは? 
 既に続編が存在していることから、勘ぐれば勘ぐれるよね…
*幽霊がもっと頑張った方が面白いのでは? 例えば、外的記憶装置のような働きをするとか…
*ミステリは収束を求めるけれど、本当にそれはマストなのか? 最後が曖昧でもいいんじゃないか。
*彼女は「慈悲」だと云ったけれど、「慈悲」は本当に「慈悲」なのか? 
*いつも周りに12人の亡霊を侍らせていたのに、それがいなくなって彼は寂しいんじゃないのか?
*いきなりやる事がなくなってしまって、この人は大丈夫だろうか?
*シャドーキャビネットの大臣のエピソード(女に財布を盗まれるなど)がかっこわるくて面白い。

色々な読み方があるもんだね!

特に、ラストを「この場合「慈悲」は本当に「慈悲」なのか?」と云う気付きや、「亡霊がいなくなったら主人公が寂しく思うんじゃないか」と云う想像力にとんだ楽しい意見とか、「目標を見失ってしまうのでは?」という一歩踏み込んだ意見には「目から鱗」なのであった。

しかし、思う所も若干。 

今回の課題本のような、割と軽めで、解釈もそれ程違わないと思われる本を肴にした読書会は、議論の持って行き場が少なくなりがちなのかな… と思ってしまった。

もっと、論争の的になるような異なった解釈の出来る本を俎上に上げた方が、面白いんじゃないかしらん。
まあ、20人が感想を述べ合うだけでも相当に時間が掛かるから、実際には論争もしていられないんだとは思うんだけれど。 

それとも、全員が一応読了している前提だし、堅苦しい感想発表は抜きにして、ぶっちゃけ話で盛り上がるのも面白いんじゃないかな~ 

なーんて。
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